snowinbowls’s blog

日本のすみっこぐらし。映画は公開日に上映されないし本は発売日に本屋さんに並びません。

火がつけば燃えてしまう 映画『燃ゆる女の肖像』感想 *ネタバレあり

 

 
『燃ゆる女の肖像』(Portrait de la jeune fille en feu)2019年 フランス 120分

監督・脚本 セリーヌ・シアマ

主演者/役名 ノエミ・メルラン/マリアンヌ

       アデル・エネル/エロイーズ

       ルアナ・バイラミ/ソフィー

       ヴァレリア・ゴリノ/伯爵夫人

 

レンタル屋さんにディスプレイされていたジャケ写が美しかったのと、レビュー点数が4.1と表記されていたので借りてみる。

舞台は18世紀、フランス、ブルターニュの孤島。木製の小さな手漕ぎボートで海を渡るマリアンヌと船乗りたち。これは酔いそう。

船の揺れで落ちたキャンバスを取りに海へ飛び込むのに、靴も重いドレスも脱がないのは無謀だなと思ったけれど、その違和感こそがこの時代の社会を表しているのかもしれない。

船に乗っていた男は数人いたのに、屋敷まで荷物を運んでくれる男はいない。なんだか冷たい。そして、この先男性が全く出てこないまま物語は進む。終盤に少し出てくるだけ。この島に男性はいるのか?と不審に思うくらい出てこない。しかし彼女たちの生きている世界は間違いなく男性中心の社会で、表立っては決して目立つことはできないけれど、ひっそりと、確実に自分を生きている。そんな女たちの絆が描かれた作品だった。

 

マリアンヌは女流画家で、貴族の娘の嫁入りのための肖像画を描く仕事で島に一時的に滞在するのだが、望まぬ結婚に怒りを抱えるエロイーズには最初素性を隠して近づく。

モデルの観察のための視線を向けるマリアンヌと、その視線を不審に感じるエロイーズ、果たしてどこで恋愛になったのか、残念ながら私には感じることができなかった。好きな人を目で追ってしまうのと、絵の被写体を観察するのは確かに似た行為だが、好意があるかないかは本人達にしか分からない。

ふたりが惹かれ合う、もう少しはっきりとした描写があればよかったのになと思った。特にマリアンヌは観察から恋になったのはなぜなのか。見開かれた大きな瞳は強くて美しいが、感情を隠してしまい、エロイーズに対する恋心を読み取ることができなかった。

 

途中、ふたりの世話をしてくれていたメイドのソフィーが、夫人が留守の間に子どもを堕ろすことになる。あやしげな方法で中絶を試みようとするのにはハラハラした。結局は産婆さん?に処置してもらうのだが、その方法も演出も謎で怖い。中絶も出産も命に関わることなのに、あまりにも簡単に描かれている。堕ろしてすぐ元通りとはいかないと思うのだけれど、そこは昔の女のたくましさなのか。ソフィーは小さくて可憐に見えるけれど、したたかさと強さを感じる女性だった。

あと、生理痛に煎ったさくらんぼの種でお腹を温めるといいというのは知らなくて面白かった。日本だと小豆カイロのようなものかな。

 

主人公の2人が違うタイプの長身美人で、髪も肌も目の色も違って素敵だった。ドレスの色もきっと意味があるのだろう。はっきりとした色の2人に、ソフィーのやわらかい色が混じっていく後半は、見ているこちらの心も解けていくようだった。

ただ、当時の貴族の結婚はもっと若いうちに進めると思うのだけれど、エロイーズの年齢が高すぎる気がした。特に、姉の代わりという設定なら10代なのではないかと思う。数年後のシーンでちょうどいい年齢だと思った。マリアンヌは数年後の見た目が若すぎて違和感があった。

また、鑑賞前はこの映画はレズビアンのお話だと思っていたが、多分バイセクシュアルなのだろう。『君の名前で僕を呼んで』の時もそう思ったなと思い出す。

 

『燃ゆる女の肖像』というタイトル、「燃える」とは愛とか情念とかの比喩表現だと思っていたら、本当に火がついて燃える場面があって、しかも一度ではなかったのでびっくりしてしまった。火に慣れていない現代の自分を省みる。

 

この映画を見る少し前に、ネットニュースでフランスの女優さんがセクハラ映画界に見切りをつけて引退するという記事を読んだのだけれど、まさかこの映画のエロイーズ役のアデル・エネルだとは思わなかった。存在感のある、とても素敵な女優さんなので、この先の映画で見られないと思うと残念でならない。

この映画のように、映画に出ることで女性の立場を表現するという道はなかったのだろうか。今後、もしそういう機会があれば是非復帰して欲しいなと思う。